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名古屋高等裁判所 昭和55年(ネ)655号 判決

控訴人

本多桂一

右訴訟代理人

村松貞夫

被控訴人

下郷弥太郎

右訴訟代理人

大橋茂美

石田新一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一原判決添付の別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)がもと誠一の所有に属したこと、誠一は昭和三五年三月五日死亡し、被控訴人が同人を相続したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、控訴人の父伝左衛門は昭和三二年一月二五日死亡し、控訴人が同人を相続したことが認められる。

二控訴人は、父伝左衛門は昭和一三年九月または同年一〇月一日頃誠一との間において、本件土地につき竹林の所有を目的とする地上権設定契約を締結した旨、あるいは孟宗竹の耕作を目的とし、小作料は別途定めるとの内容の永小作権設定契約を締結した旨主張するが、本件全証拠によるもこれを認めることができない。よつて、控訴人の右主張は採用できない。

三控訴人は、父伝左衛門は、昭和一三年一〇月一日頃庄作から同人の先代増吉が本件土地につき誠一から設定を受けた前同様の目的の地上権または永小作権を譲り受けた旨主張するので、増吉が誠一から地上権または永小作権の設定を受けたかどうかについて次に検討する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

増吉は大正末年頃、従前誠一から賃借耕作していた農地を返還した代替として、誠一所有の本件土地及びこれに隣接する北側周辺の土地合計約二反歩を開墾して耕作するため無償で貸与を受けた。当時の右土地の状況は丘陵地で、西方の山裾から本件土地の一部にかけて孟宗竹、真竹が自生する竹藪があつたほかは荒地であつた。増吉は、昭和二年頃本件土地の一部及びこれに隣接する北側の土地約一反歩を開墾して桑畑にしたが、前記竹藪の部分は開墾せず、特に手を加えたこともなかつた。増吉は昭和七年四月六日死亡し、その子である庄作が右桑畑の耕作を承継し、前記竹藪から筍を採取したが、時に土入れをしたほかは特別に手入れをしなかつた。そして、庄作は昭和一一年頃から刈谷市内の会社へ勤務し、昭和一三年一〇月同市に転居したため、その頃桑畑の耕作を放棄するとともに右竹藪から筍を採取することを近所に住んでいた伝左衛門に引継いだが、その頃右竹藪の範囲は相当広がり、本件土地の殆ど全部に及んでいた。

以上のとおり認められ、誠一が増吉に対し本件土地につき、竹林の所有を目的とする地上権あるいは孟宗竹の耕作を目的とする永小作権を設定したことを認めるに足りる証拠はない。却て右認定事実によると、増吉及び庄作の本件土地の使用は、本件土地を含む前記約二反歩の土地につき、小作地引上げの代償として増吉に無償で開墾、耕作させることを目的として成立した使用貸借に基づくものと認めるのが相当である。よつて、増吉が本件土地につき地上権または永小作権を有したことを前提とする控訴人の主張は採用できない。

四控訴人は、誠一及び被控訴人は伝左衛門及び控訴人に対し本件土地を無償で孟宗藪として耕作することについての承諾を与えていた旨主張するので、以下この点について検討する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  伝左衛門は、昭和一三年頃から庄作に代つて本件土地上の孟宗藪に立入り、竹の間引や土入れ、除草、肥培などの手入れを施して筍の採取をはじめた。その際庄作及び伝左衛門は本件土地からの筍の採取を伝左衛門に引継ぐことについて誠一に許可を求めたことはなかつたが、伝左衛門がこれを控訴人に引継いだ昭和二三年頃まで同人は誠一から異議を述べられたことはなかつた。

2  控訴人は、昭和二三年頃から父伝左衛門に代つて農業に従事するようになり、本件土地上の孟宗藪についても、控訴人が、竹の間引や土入れ、除草、肥培などの手入れを施し、筍を採取し、これを市場へ出荷して売却するようになつた。

3  控訴人は昭和二九年一二月頃に至り誠一に対し本件土地の賃料を取り決めるか、土地を売渡すかしてもらいたい旨申し込んだ、ところ、誠一は、「春になつたら土地を見てくるが、藪らしくなつているなら買つてくれ。」と答えた。この話はその後立消えになつたが、誠一は控訴人が本件土地を無償で使用し、筍を採取していることを知つた後も、これに異議を述べたことはなかつた。

4  控訴人は、その後も、誠一あるいは同人を相続し本件土地所有権を取得した被控訴人に対し、本件土地の賃料を支払うことなく、同地上の孟宗藪から筍を採取してきたが、昭和三八年頃に至り被控訴人に対し本件土地の賃料を取り決めてもらいたい旨申し込んだところ、被控訴人は、当時、本件土地を含む付近一帯に対し土地区画整理を実施する予定があつたところから、右区画整理の時点で解決しようと答えたにとどまり、控訴人が本件土地の無償使用を継続し、同地上の孟宗藪から筍を採取していることについては格別異議を述べなかつた。

5  昭和五一年八月頃から本件土地を含む付近一帯を区画整理し、これを宅地化する内容の土地区画整理事業が実施されることになつたことから、控訴人は、その頃、右事業に際して離作補償料を得る目的で区画整理組合に対し本件土地の耕作届を提出した。このため、控訴人、被控訴人間に、本件土地に対する控訴人の使用権原の有無が問題とされるに至り、本件紛争となつた。

このように認めることができ〈る。〉

右認定事実によれば、誠一はおそくとも昭和二九年一二月頃には控訴人が本件土地を無償で使用し、同地上の孟宗藪から筍を採取していることを知つていたが、これに対して一度も異議を述べなかつたことが明らかであるから、誠一は、伝左衛門及び控訴人が無償で本件土地を耕作することを許容する意思を暗黙のうちに表明していたものというべきであり、伝左衛門及び控訴人と誠一との間には、本件土地につきその地上の孟宗藪を耕作して筍を採取することを目的とする使用貸借が成立していたものと認めるのが相当である。

五控訴人は、伝左衛門は本件土地につき地上権を時効によつて取得した旨主張する。しかし、地上権を時効によつて取得するには、土地の継続的な使用という外形的事実が存在するほかに、その使用が地上権行使の意思に基づくことが客観的に表示されていることを要するところ、前認定の事実によれば、伝左衛門は本件土地につき使用貸借による使用権を有したに過ぎず、その権原の性質上自己のために地上権を行使する意思があつたとはいえないから、誠一に対し地上権行使の意思があることを表示したか、または新権原によつて更に地上権行使の意思をもつて占有を始めた事実が認められない限り、同人の本件土地の使用が地上権行使の意思に基づくことが客観的に表示されたということはできない。そうだとすると、右事実を認めるに足りる証拠はないから、伝左衛門が本件土地につき地上権を時効によつて取得した旨の控訴人の主張は採用できない。

六控訴人の本件土地の使用が使用貸借に基づくものであることは前認定のとおりであるが、右使用貸借においては返還の時期を定めたことを認めるに足りる判旨証拠はない。また、前認定の使用貸借成立の経緯に照らすと、誠一において伝左衛門及び控訴人に本件土地の無償使用を認める特段の動機または必要があつたとは認められないから、右使用貸借においては使用及び収益の目的を定めなかつたものと認めるのが相当である。けだし、民法五九七条二項の使用及び収益の目的は、孟宗藪を耕作して筍を採取することのような使用、収益の方法、態様を定める意味の目的ではなく、何のためにそのような使用、収益をさせる(する)のかを明らかにする意味での目的(例、小作地引上げの代償)をいうと解すべきであるからである。そうだとすると、貸主の地位を承継した被控訴人は控訴人に対し同条三項により何時でも返還を請求することができる。(被控訴人の解約の主張は同条二項によるものであるが、同条三項による解約の主張も予備的にこれに含まれているものと解される。)そして、被控訴人が控訴人に対し原審における昭和五五年一〇月三日の口頭弁論期日に右使用貸借を解約する旨の意思表示をしたことは本件記録上明らかなところである。よつて、右解約告知により控訴人、被控訴人間の本件土地についての使用貸借は終了したものと認められる。

七以上の次第で、控訴人の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却した原判決は結局相当である。よつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 早瀬正剛 玉田勝也)

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